井土の地名を残す—。 その強い想いから生まれた「仙台井土ねぎ」 – とれたて仙台 仙台の大地の贈り物

生産者インタビューNo.02
井土の地名を残す—。
その強い想いから生まれた「仙台井土ねぎ」

【 仙台市若林区 】農事組合法人 井土生産組合 代表理事組合長 大友一雄さん

絶望から再起まで
一丸となって現在の姿をつくり上げた井土の底力

「もうここで農業を続けるのは無理かもしれない」
東日本大震災後、家も農地も流され、がれきで埋まった井土地区を見て、大友さんはそう思ったそうです。また共にここで暮らし、共に農業に励んできた仲間たちも、同じように感じたといいます。

しかし、それから10年がたった井土地区は、いま、全国から注目を集める生産地となっています。

仙台市の南東に位置し、仙台湾を臨み、遠く奥羽山脈を背景に、井土地区の田畑が広がります。ともに収穫期を迎える黄金色に輝く稲と、深い緑色のねぎ畑のコントラストは、目を奪われる美しさです。
井土地区の再生にかけた努力と想いには、語り継いでいきたい物語がありました。

井土地区の新たな代表作物となった
「仙台井土ねぎ」

畑の端から「仙台井土ねぎ」の収穫が行われています。太くまっすぐに力強く育ったねぎが専用の収穫機でスルスルと土から引き抜かれ、収穫機の中を昇っていき、十数本集まると素早くまとめられ、出荷作業場へ。作業場ではそれぞれの作業の専用機械を使って、葉先と根の部分を切断したあと、勢いよく吹き出す空気の圧力を使ってねぎを傷めないようスピーディーに外側の皮をむいていきます。さらに太さで振り分けられた後、目視によって、規格ごとに箱詰めされます。

ねぎには、太さ・重量はもちろん、葉数、長さ、根元の切り方、といった出荷の規格があります。味は同じでも根元の切り口の位置などの違いで規格外となるため、収穫後の出荷調整作業も重要な工程となります。

「仙台井土ねぎ」は甘みが強く、やわらかいのが特徴。“甘とろ”と称されるおいしさは、焼いても煮込んでも堪能できます。

「震災後すぐには、ここで農業が続けられることも、いまのように仙台井土ねぎブランドを立ち上げることも、全く想像できませんでした」と大友さんが言うように、震災からこれまでの道のりは長く険しいものでした。

井土生産組合を立ち上げ
地域住民が団結して農業を再開

「震災から1年がたったころ、国が復旧・復興を兼ねたほ場の基盤整備を行うことになりました。それなら、皆で一つになって組織を立ち上げれば、不公平もなく農業を続けられると考えたんです。震災の翌年の平成24年2月と8月に、初代の組合長となる鈴木さんと一緒に、井土地区の役員や若い人たち70人にアンケートを取って、皆の気持ちを確かめることから始めました」。アンケート結果では、組織に任せたいという人が9割にのぼりました。「一緒にやっていきたいという意思を表明してくれた15人で出資し合い、平成25年1月に『農事組合法人 井土生産組合』を立ち上げました。

「団結できたからこそ大規模な整備が可能になった」と大友さんが振り返るように、整備したほ場の面積は井土地区としては約100ha。1区画を被災前の10aから1haに広げることで、大型農業機械の導入が可能となり、生産効率を上げることができました。

カギとなった「暗渠工事」と「土づくり」
今後も土づくりは継続

「もともと井土地区はレタスの産地でした。最初にレタスを植えてみましたが、塩を含んだ砂の層で根が止まってしまい、育ちませんでした」。塩を含んだ砂が押し固められた畑は水はけも悪く、農作物の生育には向かない状況でした。そこで組合では、水田と同じように畑についても、水はけを改善するためにパイプを埋め込む「暗渠(あんきょ)工事」をしてもらえるよう国に強く要請。それが受け入れられ、令和2年にようやく工事が完了しました。

また水はけと同時に、土の問題もありました。「通常、肥沃な土を作るには10年を要するといわれています。最初は県北からたい肥を購入していましたが、費用がかさみます。その苦労を知る岐阜県の方から無料でたい肥をいただいたこともありましたが、最近では、近隣にある海岸公園馬術場の馬糞の提供を受け、籾殻を混ぜ込んだたい肥を作れるようになりました」

こうして暗渠工事とともに、土づくりも進め、ようやくミミズも見られるような養分の多い土になったそうです。「それでもまだ全体の半分にしか、いい土が入っていない」という大友さん。今後も継続して土づくりが行われていきます。

新たな担い手に
井土地区の農業の未来をつなぎたい

土壌は変わってしまったものの、日射量が多く、夏は涼しい海風が吹くという天候条件や、水質の良い地下水は震災後も変わることはありません。こうした条件が農作物の栽培を後押ししました。85haを田として整備して稲作に取り組み、そのうち48haは「乾田直播栽培」を行っています。ハウスで育てた苗を水田に植える従来の「移植栽培」に対し、「乾田直播栽培」は乾いた田に直接種を播く栽培方法です。田植えの省力化に加え、使わなくなった育苗ハウスをトマト栽培に転用し、収益の増加につながりました。

畑作については、カボチャ、トウモロコシ、タマネギなど、この土地に合う農作物は何か、継続的に収益の上がる作物は何かを考えながら、毎年試行錯誤を繰り返しました。その結果、たどり着いた作物が長ねぎでした。作業性を重視し、やわらかさや甘みがでるよう栽培方法を工夫。地域の名前を冠して平成27年から「仙台井土ねぎ」として出荷を始めました。

全農やJA仙台等の協力のもと、年々ねぎの出荷量を増やすとともに、「仙台井土ねぎまつり」の開催や飲食店への提供により、「仙台井土ねぎ」の名前が広がっていきました。「販路は広げ過ぎずに、まずは出荷量を安定させることが必要。まだまだ課題は多い」と大友さんは語ります。

こうした大友さんの言葉にも表れている「計画性」と「堅実性」が、組合の運営を支えてきました。このような活動が評価され、平成31年には、第48回日本農業賞で集団組織の部 大賞を受賞。現在理事7人、社員3人が中心となって、米、ねぎ、大豆、レタス、トマトなどの生産を行っています。

「なんでも言い合える仲だから、一つひとつ問題をみんなで解決してきた。今後は後継者へのバトンをつないでいくことも考えたい」と、井土生産組合は、さらに新たな目標に向かっています。

【 仙台井土ねぎ 】

震災後も枯れることがなかった清涼な井戸水、海岸からの冷涼な潮風、豊富な日照量という環境に加え、畑に良質な有機物を入れるなど、たゆまぬ土づくりの努力が仙台井土ねぎをおいしくしています。出荷は例年9月下旬から2月下旬頃まで。火を通すと甘みが増し、中がとろっととろける食感に。「甘とろ」のおいしさが楽しめます。

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